2010年12月10日金曜日

始まりの日

拝啓 国連本部様

あの、初めに申し訳ないんですが、全人類宛に何か伝えたい場合には、こちらでよろしかったのでしょうか?私は、地球上のすべての人に伝えたいのです。余す所なくすべての人に。初めは、こちらで把握してる限りのメールアドレスに、同時配信することも考えましたが、それでは届かない人も出てくるでしょう。であれば、誰か人類を代表する人に、送り届けたいと思ったのです。アメリカ大統領も考えましたが、昨今の国際情勢を見させていただいていると、アメリカだけが世界の極ではなくなってきているような気がしてまいりました。では中国かと申しますと、たしかに有望な国ではあるかと思いますが、あの国の国際政治のスタイルを考えるに、私たちのメッセージが本当に、世界の全てに伝わるかと問われると、不安が残ります。そこで、あなた方国連にこのメッセージをたくそうと考えたわけです。国連が、事実上、何の権限もないことは、私たちも良く知っています。いざ戦争が起きたとしても、結局あなた方はモメるばかりで止めることすらできないでしょう。でも、それでもあなた方にこのメッセージをたくそうと私たちは考えました。それは、たとえ形骸的なものであっても、貴方達は平和希求という人類の理念(または高望み)の下に産み落とされた、尊重すべき存在であるからです。

さて、理由ばかりで長々と綴ってしまいました。
#Aと違い、#Zはもとより文章が苦手です。

本題に入りましょう。

私たちは、全人類を「想像」することをやめることにしました。

と言っても、あなたが他の哲学は、このことが何を意味するのか、まだ把握していないでしょう。
噛み砕いて説明しますと、あなたが存在するのは、私が想像するからなのです。私たちが、誰一人、あなたを想像しなくなれば、あなたが存在すると、誰が認識するのでしょう?
あなた自身が自分を認識し続ける?それは無意味なことです。ゼロがゼロを見つめ続けても、何の発展もないように。あなたはいわば、存在の特異点に閉じ込められます。それは結局、存在しないのと同じことです。

逆に、私たちがみな、誰か共通のイメージを想像していれば、その存在は、実際に存在するのです。実際にはこうして生み出された存在が、人類社会のあちこちにいます。私たちはもうずっとながいあいだ、こうして、人類の数を増やしてきたのです。想像をやめれば、消えてしまう人間が、この世界には相当な数存在します。そして、それはあなたかもしれませんし、あなたのご友人かもしれません。

私たちは、人類を想像する鍵を持っています。
私たちは少なくとも、想像をやめれば消えてしまう人類とは異なります。
私たちは、ある特殊な方法で、誰にも存在を知られない状況に陥っても、無事生還できることが分かった人類です。この実験を行うに当たっては、多くの人間がそのまま消滅したと聞いています。生き残った私たちも、その過程で自分の戸籍も、名前も失ってしまいました。
どれほどの人間が消えてしまったのか、その数は定かではありません。彼らがどんな人間だったのか、今では誰も想像できないからです。

私たちはそれから、“想像することをやめる”ための訓練を受けました。
これは、意外と難しいことです。しかし、ある種の自己暗示的な方法を有効に使うことにより、よほど厳しいトラウマでもない限り、取り除くことができます。私たちの会の入会条件は、三親等以内上の親戚のうち誰かを消滅させることです。私も、この能力を手に入れるまでは、まさかうちの親戚に消滅してしまうような形だけの人類が混じっていることなど、気が付きませんでした。しかし、実際には可能だったのです。もちろん、彼がどんな人間だったか、私は覚えていません。あとで報告書を見て、そうだったのかと思わされただけのことです。

私これまでの記録を見る限り、この世界の92.8%の人間は、想像されることで存在している人類です。しかし、この数はもっと多いかもしれません、私よりずっと<<想像力>>がたくましい人間がこの会の会員だけでもズラリとおりますから。想像力のある人間はそれだけ、たくさんの人間の存在を支えています。彼らが人類を忘れ始めれば、世界は一気に崩れ始めるでしょう。

さて、ではどうして私たちが、人間を想像することをやめてしまおうと決意したのか。
この能力の存在に気づいた#Aは、人間という存在に絶望したといいます。消えては生まれ、生まれては消えて行く。それなのに、目の前の事柄に固執する。想像上の人間でも、実際の人間でも、その点は変わりません。ですが、彼は違いました。人間を再想像すると決めたのです。彼はそのために、自らを律し、理想的な人間に成るように努力しました。そして、身をもって、人間の理想像を創り上げた段階で、同じような志と能力を持った会員を募ったのです。彼は私たちにも、自らと同じような厳しい戒律を守らせました。私たちも、彼の思いに賛同した者たちですから、その厳しい決まりごとを喜んで引き受けました。そして、この日がやって来ました。今日は人間を再想像する始まりの日です。それはすなわち、一度人間を消去することを意味します。想像上の人間を消去するには、いかに訓練を受けた私たちといえども、少し時間がかかります。その間、想像上の人類は少しずつ、消え去っていくことでしょう。再想像の実証実験の結果から計算するに、私たちの会員だけでも、全人類の12.5 % を支えています。このメッセージが、まだ自分の能力に気づいていない他の実在の人類に届き、協力してくだされば、この数はもっと増えることでしょう。いずれは全ての人類が置き換わると、私たちは確信しています。

少し、唐突な問いになりますが、あなたは、あなたがそこに確かに存在していることを、何をもって証明できますか?その、考えなくても明らかなように思えたあなたの存在が、ゼロがゼロを見つめるようにそう思い込んでいただけではないと、どうして言えますか。あなたを見つめているその家族は、ご友人は、どうでしょう。思うことをやめれば消え去ってしまうような、儚い存在ではないと、何をもってあなたはいうのでしょう。例えばあなたが、何か物を作っているとして、そのものが誰かに使われているから、私は存在していると考えるのは間違いです。あなたが作っているものも、実在するとは限りません。例えば、大型の工場では、一日に天文学的な数の製品を作っています。それらの製品は、ベルトコンベアーを右から左に流れていきますが、あれらはそれからどうなっていくのでしょう?あの先、想像の向こうに消えていっているだけだとは考えてみたことはありますか?全てがそうだとはいいません。ですが、多くがそうなのは確かです。想像上の人間の存在など、それほど脆弱なものです。あなたの存在を支えている私たちの想像も、実はそれほど強固なものではないのです。

ただ、あなたがたとえ想像上の人類だったとしても、悲観することはありません。人類は新しい形で想像し直されるだけです。私たちの敬愛する#Aのようによりたくましく、明るく、健康的で、ジョークを欠かさない、社交的な人類に。再想像が終わったら、私たちもまた社会の一員として、優れた人類の間に混じって、恥ずかしくないよう生きて行くつもりです。

最後に。
あなたが、あなたのご友人が、想像上の人類でないと確かめたくても、あなた自身が想像上の人類である場合には不可能です。そうでなくても、訓練を受けていなければ無理でしょう。ただ、そのための努力をすることは無駄ではないかもしれません。今、あなたの目の前にいる人が本当に、嘘でなく、存在していることを、あなたは何とかして、証明できますか?たとえそのために、多くの犠牲を払って不断の努力を傾けたとしても、それが、悲劇的な結末に結びつくことは無いでしょう。そのご友人がたとえ想像上の人類だったとしても、あなたにそれに気づくすべは結局ないからです。ただ、努力や犠牲を払った分だけ、あなたはかたくなにその存在を信じ、それを守ろうとするでしょう。

すべてが消える存在だとしても、


それでは、さよなら。

#Z

2010年8月1日日曜日

phantom pein (3)

入院からひと月近くたって、ようやくリハビリも本格的になってくると、男はそれまでの個室から6床の大部屋に移された。自分ひとりだけが静かに横たわるしか無い個室では、誰か他人が尋ねてこない限りは、まるで自分が死んでいるのか生きているのか、はっきりとしないように男には思えた。窓の外には、茫洋とした海と、ただ砂浜だけが続く人気のない海岸線が広がっており、市街地の反対側であったこともあって、彼は、この広い世界にたった一人、取り残されてしまったのだという寂寞とした気持ちに落ち込んでしまいやすかった。空が晴れていればいるほど、海が澄んでいればいるほど、その気持は強くなり、彼は冥府からの使者が、そっとあの青い海と空の間から自分に手を差し伸べてくれることを、気持ちの奥底で望んでいた。

大部屋に移って、彼には一番入口近くのベッドが与えられた。彼の右隣は無人で、足の向いている方には、右目と頭の上半分を包帯で覆った、労働者風の男が眠っていた。あとは膝を固定したふくよかな老婦人、背の高い、腕をつった青年、そして空きベットの向こう側の一番窓に近いベッドに、小さな少年がいた。

大きな部屋に移ったことは、彼の体が、確かに回復に向かっているのだという紛れもない事実を、彼につきつけるものだった。口には出さないまでも、心の奥底で、死に安らぎを見出しつつあった彼にとって、それはただ皮肉なだけだった。夏は盛りを迎え、窓の向こうに見える木々は緑を増し、病院から道路を挟んで向こう側の公園には、青々とした芝生が広がっていた。まさに彼の体も、彼自身の内心の状況とは無関係に、体に刻まれた生に向かう極めて原初的な生理作用によって、日一日を追うごとに、傷口を埋め、壊れかけた体の諸関節の可動範囲を大きくしていた。

彼は、彼自身の精神が、長年、つれそった自分の身体からさえも取り残されてしまった気分を切に感じていた。

魂だけが遊離し、遠く死へと向かうベクトルを希求しているが、それを引き止めているのは紛れもなく、彼自身の体であった。「身体は精神の檻である」どこかで聞いたそんな言葉を、彼はベットの上に休みながらじっと考えていた。


その時、彼はふと誰か彼をじっと見つめ続ける視線を感じ、そちらを振り返った。
見れば、そこには窓際のベッドの少年が、いつの間にか起き上がって、ベッドの上に腰掛けるようにしながら、じっと彼の方を見つめていた。

彼は、少年と目が合うと、反射的に、にこりと微笑んだ。
少年は驚いたように目を一瞬大きくしたが、恥ずかしかったのか、すぐにぷいと向こうを向いて、ベットに突っ伏してしまった。

だが、しばらく見ていると、彼はまたひょいと下のように起き上がって、先ほどと同じように彼の方を見るのだった。彼がまたにこりと微笑むと、少年はまた同じ動きを繰り返した。

そんなことを数回繰り返した後、少年は飽きてしまったのか、枕元のテレビを付けたようだった。テレビではちょうど、彼の好きなアニメか何かがやっていたらしく、次第に彼の瞳はその画面に釘付けになった。口をぽかんと開け、無心になってテレビを見ている丸刈りの少年の姿に、男は失った息子の姿を重ねそうになって、左手で目頭を抑えた。

少年は頭部を怪我していたらしかった。子どもらしい丸い頭に、白いネットが痛々しかった。左耳の付近は厚いガーゼで覆われており、その周辺に彼を入院に至らしめた創傷があるようだった。男は揺らぐ天井を見つめたまま、できるだけ少年のことを考えないようにしていた。遠くから聞こえてくるかすかな子供番組の声が、不思議に彼の心をかき乱すのを必死にこらえながら、彼は意固地になって、固く両目を閉じた拍子に、大粒の涙がボロボロとこぼれて、彼の枕を濡らしたのを知った。

2010年7月18日日曜日

Phantom pain (2)

「わたし」という実体は、どこにあるのか。

右腕を失ってから、私はよくそれを考えていた。


病院の三階にあるリハビリ室では、めいめいが、看護師や理学療法士の指示を受けながらリハビリに取り組んでいた。

平行棒のような支えの間で、歩行訓練をする、義足の中年女性がいた。その脇では、ベットに寝そべって、ゆっくりと膝の曲げ伸ばしを繰り返す、老人がいた。

部屋の奥のほうでは、中年のパジャマ姿の男が、ひたすらに積み木を積み上げる訓練を繰り返していた。

男は、私よりずいぶん年上のようだった。剥げかかった頭を、私の方に向けたまま、脂汗を浮かべて、右腕で小さな積み木をつまみ、すでに組みあがった小山ほどの物体の上に積み上げようとしていた。よく見れば、男の右腕の先には手がついていなかった。手があったはずの場所には、前腕の骨でできた、指のようなものが、にゅうっ、と、蟹挟みのように突き出ていた。

男は、二本の「指」がつかんだ赤い5センチ程の積み木を、丸いだるまのような目を大きく見開いて、持ち上げ、これまで積み上げてきた彼の「城」の上に慎重に重ね上げようとしていた。

彼は、もう何時間もそうしていたのだろうか。積み木の城は、座った彼の肩ほどにまで大きくなっていた。

男の震える二本の指先が、赤い積み木を城の突端に載せた。積み木は、不安定な色モザイクの城の上で、眩しいほど赤い色をしていた。男は城を崩さぬよう慎重に、自分の慣れない二本の指を、城の突端においた赤い積み木から離しにかかった。それは、掴むより、よほど難しい作業のようだった。丸い頭に、ふつふつと、粟粒のような汗が浮かんでいるのが見えた。

ああ、と、不意に男の声が聞こえた気がした。指が、ふとしたはずみに城の突端に触れた。
掛かっていた魔法が急激に解けたように、男の目の前で城が崩れていく。

からからからん。乾いた音が、リハビリ室に反響して、よく磨かれたフローリングの上に、色とりどりの積み木が飛沫のように散らばった。

付近に似いた何人かの人間が、その音に気づいて彼の方を見た。が、殆どの人間はそのことにさえ、気がつかなかったようだった。皆、黙々と、自分に与えられた苦痛と向き合っていた。誰も彼もが、自分の体の痛めた箇所を見つめて、眉をひそめていた。それは、城を崩した彼自身も同じのようだった。他人の目線など、気にしない様子で、崩れた城を、丸い目でしばらく、じっと見つめていた。

男は、ひゅう、ひゅう、と息をつきながら、その場に座り込んで、じっとしていたが、やがて、崩れてあたりに散らかった積み木を、右腕と左腕で抱え込むようにして寄せ集めた。それから、崩れた城を夢に描いて、再び一段目から、積み木の山を重ね始めた。


私は、歩行訓練で疲れた体を、部屋の隅の椅子に座って休ませながら、その光景を見つめていた。

彼に、家族はあるのだろうか。私はそんなことを考えていた。男の年齢は、明らかに50を超えていた。だが、彼の瞳は、それにしては妙に若々しく光っていた。もしかすると、彼は、あの右腕のケガの他にも、何らかの知的な障害を負っているのかもしれない。私はそう思った。無心になって、積み木を積んでいる彼の仕草を見ていると、私にはそうとしか思えなかった。

だが、よく良く考えてみれば、このリハビリ室に入る人間自体が皆、人間の発達を逆行させたのではないかと思うほど、小さな仕草一つに難儀している有様なのだ。彼にだけ、言えたことではないな、と私は思った。かくいう私も、腕を失ってから、ただまっすぐに歩くのだけで、難儀している。体の左右のバランスが悪くなったおかげで、少し歩いただけで、腰や背中に大きな負担がかかるのだ。

人間の体が、ここまで精妙にできていたということに、私はけがをしなければ、気がつくことはなかっただろうと思った。

右腕を失っても、私は当たり前のようにこうして生きている。心臓は事故前と同じように拍動し、瞳は物を見、耳は声を聞いている。まるで、この失った右肩さえ目をつむれば、何事も変わっていないように、はたからは見えるかもしれない。

しかし、こうして失った右腕を補うための訓練を続けている、残された私は、果たして、元の事故前の私と同じ人間だと、言えるのだろうか。椅子に座ったまま、白い病院の壁に背中を預けながら私はそんなことを考えていた。

右腕は、私から切り離された瞬間から、私では、なくなってしまった。私とは違う、一個の物体として、病院の何処かに葬られたのだ。かつて、紛れもない私として、私の意のままに、動いていたあの部分が、切り取られ、私ではなくなって、あの場に転がっていたと考えると、それは、なんとも不思議な気分がした。だが、それ以上に、そうして腕を失ってもなお私というものがまだ続いているということに、私は戸惑っていた。肩口から向こう側が私でなく、こちら側が私であった理由は、どこにあるのだろうか。脳があったから?脳がある側が私なのだろうか?

しかし、私には分かっていた。
たとえ脳が無傷ではあっても、私はもう、元の私ではなくなってしまっていた。やはり失ったものこそが、私であったのだ。あの日、この右肩の傷口の先に、確かにつながっていた小さな手のぬくもりは、体の一部であった私の右腕と共に永遠に、私の元から、失われてしまったのだ。

この体が、私なのではない。あれこそが私であったのだ。息子が、そして、妻が、あれこそが私であったのだ。

2010年7月11日日曜日

Phantom pain

右肩から先がない。
そのことに気がついたのは、病院のベッドの上だった。

白い机、白いフレーム、白いシーツ。
天井の茶色いシミのような点々とした模様が鮮やかにさえ見える、真夏の真昼の午後だったように記憶している。

私が気がついたとき、私の周りには誰もいなかった。

数本のチューブが、私の左手から伸びていて、数桁の数字をデジタルで表示する、何物かの装置の中につながれていた。数本のチューブの一本は赤茶けた血液の色をしていて、その先にはおそらく輸血用の血液のバックがぶら下がっていた。


ああ、このチューブとバックは今、血管で俺の体とつながっているんだな。
そう思うと、このプラスチックの無機質な使い捨てバックが、自分と生を共にする臓器のようにさえ思えてきた。

正人は……。

私はふいに、その名前を思い出した。

正人は、どこに行ってしまったんだ……?








「……ああ、どうです」
寝そべったままの私の視界に覗き込むように入り込んできた、中年の医者が、しわの深く刻まれた真面目で硬い顔に慣れていない笑顔を浮かべて、当たり障りの無い言葉で私に語りかけた。

「……ええ……」
それ以上答えようがなかった。
意識が戻ってから、体はこれまでたまったうっぷんを晴らすようにあちこち痛んでいた。きっとこれでも、私の周りにぶら下がったバックのどれかから、鎮痛剤が相当量、処方されているのだろうが、足の指一本動かすたびに、関係ないはずの背中や腰が、スパークするのだ。

私の顔は、医者に答えようと口を動かすだけでも痛みを感じて、始終愛想悪くゆがんでいたはずだった。

「……、痛いです、あちこち……」
私は情け無さも感じながら、そう訴えずにはいられなかった。

医者は、それはそうでしょうとは感じながらも、そんなことなどおくびにも出さない硬い笑顔のまま、ただ大きくうなづくだけだった。

「背中の骨と、腰の骨に、大きなヒビが入っています。痛ければ、もう少し、鎮痛剤を処方してもらいましょう……」
医者は、その後、私の顔を覗き込んだまま、何ものかを待つように、言葉を切った。
私は、医者の待っている質問が分かっていた。だが、それを発することは私にとって大きな勇気がいった。その医者の答えるであろう回答も、私には予想出来ていたから。

「……正人は……、正人と、優子は……」

医者は、その質問に、それまで痛いほどに投げつけていた目を、一瞬、宙に切った。そして、再びその目を私の動けない顔に向けた。先程よりも、ずっと力のこもった視線で。

「……脳死です、息子さんの方は……。先程、担当医が報告してくれました。奥様は、即死でした……」

私は、私を、何かが空に引っ張りあげるような感覚を感じた。気が遠くなるというより、語弊を伴わずに言えば、身が軽くなるといった感覚か。私は、もう、両親でも、夫でも、なくなり、たった一人の、男になってしまったのだという、ふわふわとした、背中のざらつく感覚だった。

「……子供の脳死判定は難しく、脳死と思われても、一定確率で蘇生する例があります。……しかし、その確率は、ほんとうにまれとしか言いようがなく……」

医者が言わんとしていることはわかった。

「……お願いします」
私は、喉の奥から吐き気がしそうなのをこらえながら言った。

「……今の状態が続いても、せいぜい数日……、なんですよね?……先生方をご信頼します」私はそこで、言葉を切った。肺を固く締め付ける固定具のため、息が続かなかった。

「……息子の……、臓器を、他の子供達のため、役立ててください……」

私はそこまで言うと、力尽き、目を閉じた。医者の反応など、もう見たくはなかった。彼がこれからどうするか、想像したくなくても、想像できた。息子はこれから、親の決断によってバラバラにされ、内蔵をとり出され、その必要のままに、他の子供達の待つ病院に送られていくだろう。

彼の存在意義は、もう臓器にしか無いということなのか?
そんな疑問も浮かんだが、それを考えるには、私はあまりにも打ちのめされていた。冷静に考えることなど今はできないと感じていた。いやでも、私はこの事実を背負っていくだろう。これから、残された人生をかけて、私はこのことを見つめ続けていかなくてはいけないのだ。

『パパのお仕事って、どんなの』
息子が、大きな目をくりくりさせながら、尋ねてきた日のことを思い出す。

「お船で、新潟の港から佐渡まで、人を届けるのが仕事だよ」
私は答えた。息子は私のあぐらの上で大きな黒い瞳を、鮮やかに輝かせた。
『トキ見える?トキ?佐渡にいるんでしょ?』

私は笑った。
「……いるいる。でも、船からは見えないなあ。まだ、ゲージの中にいるんだ」

えーっ。
息子は頬をふくらませた。夏が近づき、白かった彼の頬は男の子らしくたくましく、褐色に焼けはじめていた。

そんなぁ。

そうは言ったものの、息子の興味は尽きないようだった。
船の上ってどんなの?酔わない?イルカ見えるの?クジラいる?

そんな質問を矢継ぎ早に繰り出しながら、私たちは、夏休みに入って最初の連休を過ごしていた。彼にとっては人生最初の夏休みになる予定だった。私にとっても、息子と最初の夏休みなる。そう、予定していた。