2010年7月18日日曜日

Phantom pain (2)

「わたし」という実体は、どこにあるのか。

右腕を失ってから、私はよくそれを考えていた。


病院の三階にあるリハビリ室では、めいめいが、看護師や理学療法士の指示を受けながらリハビリに取り組んでいた。

平行棒のような支えの間で、歩行訓練をする、義足の中年女性がいた。その脇では、ベットに寝そべって、ゆっくりと膝の曲げ伸ばしを繰り返す、老人がいた。

部屋の奥のほうでは、中年のパジャマ姿の男が、ひたすらに積み木を積み上げる訓練を繰り返していた。

男は、私よりずいぶん年上のようだった。剥げかかった頭を、私の方に向けたまま、脂汗を浮かべて、右腕で小さな積み木をつまみ、すでに組みあがった小山ほどの物体の上に積み上げようとしていた。よく見れば、男の右腕の先には手がついていなかった。手があったはずの場所には、前腕の骨でできた、指のようなものが、にゅうっ、と、蟹挟みのように突き出ていた。

男は、二本の「指」がつかんだ赤い5センチ程の積み木を、丸いだるまのような目を大きく見開いて、持ち上げ、これまで積み上げてきた彼の「城」の上に慎重に重ね上げようとしていた。

彼は、もう何時間もそうしていたのだろうか。積み木の城は、座った彼の肩ほどにまで大きくなっていた。

男の震える二本の指先が、赤い積み木を城の突端に載せた。積み木は、不安定な色モザイクの城の上で、眩しいほど赤い色をしていた。男は城を崩さぬよう慎重に、自分の慣れない二本の指を、城の突端においた赤い積み木から離しにかかった。それは、掴むより、よほど難しい作業のようだった。丸い頭に、ふつふつと、粟粒のような汗が浮かんでいるのが見えた。

ああ、と、不意に男の声が聞こえた気がした。指が、ふとしたはずみに城の突端に触れた。
掛かっていた魔法が急激に解けたように、男の目の前で城が崩れていく。

からからからん。乾いた音が、リハビリ室に反響して、よく磨かれたフローリングの上に、色とりどりの積み木が飛沫のように散らばった。

付近に似いた何人かの人間が、その音に気づいて彼の方を見た。が、殆どの人間はそのことにさえ、気がつかなかったようだった。皆、黙々と、自分に与えられた苦痛と向き合っていた。誰も彼もが、自分の体の痛めた箇所を見つめて、眉をひそめていた。それは、城を崩した彼自身も同じのようだった。他人の目線など、気にしない様子で、崩れた城を、丸い目でしばらく、じっと見つめていた。

男は、ひゅう、ひゅう、と息をつきながら、その場に座り込んで、じっとしていたが、やがて、崩れてあたりに散らかった積み木を、右腕と左腕で抱え込むようにして寄せ集めた。それから、崩れた城を夢に描いて、再び一段目から、積み木の山を重ね始めた。


私は、歩行訓練で疲れた体を、部屋の隅の椅子に座って休ませながら、その光景を見つめていた。

彼に、家族はあるのだろうか。私はそんなことを考えていた。男の年齢は、明らかに50を超えていた。だが、彼の瞳は、それにしては妙に若々しく光っていた。もしかすると、彼は、あの右腕のケガの他にも、何らかの知的な障害を負っているのかもしれない。私はそう思った。無心になって、積み木を積んでいる彼の仕草を見ていると、私にはそうとしか思えなかった。

だが、よく良く考えてみれば、このリハビリ室に入る人間自体が皆、人間の発達を逆行させたのではないかと思うほど、小さな仕草一つに難儀している有様なのだ。彼にだけ、言えたことではないな、と私は思った。かくいう私も、腕を失ってから、ただまっすぐに歩くのだけで、難儀している。体の左右のバランスが悪くなったおかげで、少し歩いただけで、腰や背中に大きな負担がかかるのだ。

人間の体が、ここまで精妙にできていたということに、私はけがをしなければ、気がつくことはなかっただろうと思った。

右腕を失っても、私は当たり前のようにこうして生きている。心臓は事故前と同じように拍動し、瞳は物を見、耳は声を聞いている。まるで、この失った右肩さえ目をつむれば、何事も変わっていないように、はたからは見えるかもしれない。

しかし、こうして失った右腕を補うための訓練を続けている、残された私は、果たして、元の事故前の私と同じ人間だと、言えるのだろうか。椅子に座ったまま、白い病院の壁に背中を預けながら私はそんなことを考えていた。

右腕は、私から切り離された瞬間から、私では、なくなってしまった。私とは違う、一個の物体として、病院の何処かに葬られたのだ。かつて、紛れもない私として、私の意のままに、動いていたあの部分が、切り取られ、私ではなくなって、あの場に転がっていたと考えると、それは、なんとも不思議な気分がした。だが、それ以上に、そうして腕を失ってもなお私というものがまだ続いているということに、私は戸惑っていた。肩口から向こう側が私でなく、こちら側が私であった理由は、どこにあるのだろうか。脳があったから?脳がある側が私なのだろうか?

しかし、私には分かっていた。
たとえ脳が無傷ではあっても、私はもう、元の私ではなくなってしまっていた。やはり失ったものこそが、私であったのだ。あの日、この右肩の傷口の先に、確かにつながっていた小さな手のぬくもりは、体の一部であった私の右腕と共に永遠に、私の元から、失われてしまったのだ。

この体が、私なのではない。あれこそが私であったのだ。息子が、そして、妻が、あれこそが私であったのだ。