2009年8月5日水曜日

パルミラ (7)

パルミラを失い、新しいパルミラに違和感を覚えているからと言って、その小さな丸い手から、自分の手を、簡単に切り離すことはそう言った理由で簡単にはできない。しかし、今まで通り、それを見つめていても、それまで感じていたような満足感を得ることはできず、不安を伴った神経症の症状があらわれてしまうらしい。症状がひどい場合は、精神安定剤などの投薬が必要になる場合もあると僕は聞いていた。

パルミラを失った友人もその後、お医者さんから、ごく弱い精神安定剤と睡眠薬をお守り代わりに処方してもらって、最近では、症状はだいぶ良くなったようだ。週一回のカウンセリングの効果もあってか、彼の新しいパルミラにも、今まで通りの愛着がわき始めたようで、むしろ今まで気にしていた、目が大き過ぎるという特徴を、彼女のチャームポイントとして、自慢することさえみられるようになった。

だが、彼のように、すべての人が、その病気から簡単に立ち直るというわけではない。
特に中高生の場合、パルミラを失った、あるいは、それを与えられないがゆえのさびしさに対する反動として、非行に走ってしまうというケースが、時折ニュースの特集などで報じられている。

パルミラが、少年の非行の防止に、著しい効果があるという調査結果は、多くの大学の調査で肯定されていた。もちろん中には、与えられたパルミラに“いたずら“をして壊してしまうケースもあったが、そういった行為も、パルミラに対して芽生え始めた感情に対する、正しい反応ができないだけではないかという考察が、学者の間ではなされていた。

パルミラと少年を密室で、たった二人で置いた場合、それを破壊するケースはごくわずかだった。
一部の少年院では、この調査結果を受けて、パルミラを少年の房に各自一体ずつ持たせ、その管理をさせるという任務を与えているという。正直、パルミラに管理らしい管理はいらないのだが、それでも外を連れ回せば、服は汚れるし、体も汚れる。それをいつもきれいに整えて、置くという任務が、試験的に、一部の少年に対して行われている。

パルミラをきちんと管理できず、しばしばむごたらしく破壊してしまう習癖を持つ少年いるという。
そうした少年の多くは、他人とのコミュニケーション能力に著しい欠陥があるが、あるいは共感する力に欠けている場合が多かった。親の愛情にかけている場合が多いという調査結果もあった。

つまりは、そもそも、人間と関係を上手に結べない人間は、自分のパルミラとの関係も、うまく築けないということだ。たが、人間との関係を築くより、パルミラに愛情を注ぐことの方が、まだずっとやさしい。パルミラは、そういう現場では、人間と人間という気むずかしい関係に至る前の前段階のステップとして、トレーニングに用いられているらしい。




†4
パルミラがいかに、今の僕らの社会に必要とされていて、そしてこれからも、その役割は大きくなっていくかと言うことが、解っていただけただろうか。

僕はパルミラを愛しているし、まだパルミラを知らない他の人々にも、パルミラの良さを一度知ってもらいたいと思っている。ただし、僕はもう、パルミラを持つことは出来ないのだ……。

例え僕がいかにパルミラを持ちたいと言ったところで、それは周りの人間がもはや許してくれないだろうし、例え持ったとしても、また僕は自己嫌悪に陥るような行為を繰り返してしまうことだろう。だから……。僕はもうパルミラを自身から遠ざけるようにしている。僕は、彼女を愛するのに、値しない人間なのだ。その愛らしさを遠くから眺めて、目を細めている以上の幸福を、僕は味わうことを許されてはいないのである。その手に触れることも、丸い、暖かい健康的な頬に触れることも……、僕はそうした権利の一切をもはや失ってしまった人間なのだ。

人間?僕は人間なのだろうか?愛すべきものを、愛する権利も持たないイキモノが、果たして、人間を名乗ってもいいのだろうか?

まあ、いい。それは僕以外には、あまり関係のないことだ。ともかくも、僕がそうなってしまうに至った理由を、もうそろそろ、お話ししてもいい頃かと思う。