2009年8月2日日曜日

パルミラ (6)

僕は彼のパルミラがいつの間にか変えられていたことにすら気がつかなかったくらいだから、彼の感じていた違和感を理解していたとは言えないかも知れない。

彼のパルミラは昔から目が大きく、まつげが長かった気がしていたし、その特徴は、この新しいパルミラでも共通しているように感じていた。

だが、思えばそれもまた、僕の先入観に過ぎなかったのかも知れなかった。
彼の持つパルミラは目が大きいと、僕が偏った目で彼のパルミラをずっと見続けていたに過ぎなかったのかもしれなかった。

彼の両親は新しいものが好きで、その結果として彼は幼い頃から、パルミラが当然のように存在する家庭で育っていた。そのため、パルミラの個体間の違いを敏感に感じ取れる素養を、彼は人より強く持っているのかもしれない。

だが、鋭敏過ぎる感覚を持つことは、果して幸運なことなのだろうか。
僕は彼を見ながら、そう思っていた。

彼の話を聞いて、僕の表情が無意識に曇ったのを察したのだろうか。
彼は急に、開き直ったように顔を上げ、
「……そんな数字にもならない違いをいちいち気にしているだけで、この笑顔に、素直に喜べなくなるのは、どうしてなんだろうな」
と、かすかに語尾に震えを伴った声で自嘲し、僕の方を向いて明るく笑った。


彼とはその日、授業が重ならなかったので、そこで別れた。

人気の少ない、学校の西の外れの法学棟へ向かう彼の痩せた背中は、彼の腰ほどもないパルミラの体に寄り添うように屈められることもなく、ただ二本の、長さの違う二つの平行の影となって、太陽の高く上った真夏のキャンパスを、陽炎の内に融けるように消えていった。



†3
パルミラ喪失症候群、という一連の神経症の存在が日本の心理学の学会に提唱されたのは、一昨年のことだ。

何らかの理由で、パルミラを失った人々が、急に精神不安定になり、不眠や頭痛、挙動不審などの変化が現れることがあるという。

新聞によれば、最悪の場合、うつ病を併発し自殺する可能性もあると、発表した関西の大学の研究グループは指摘していたそうだ。

自分のパルミラを失った場合だけではなく、失って新しいパルミラを得た人の中にも、元のパルミラとの違いを強く感じて、新しいパルミラに元のような愛情を注げなくなるなどの症状が現れることがあるのだという。

そうした場合、もうパルミラを持つのをやめてしまえばいいと言う人もいるが、それは一度パルミラをもった人間からすると全く考慮できない選択肢だ。

子供を事故などで不意に失った親が、また子供を作ろうとする話はよくある。

その場合、生まれてきた子供が元の子供の代わりになりうるわけではない。代わりを強要されたところで、その子供はいずれ自分の人生を否定されたような感情を抱くだろう。なにより、そんなことは親の身勝手に過ぎないと僕は思う。

だが、おそらく大抵の親は、そんなことは間違いなく理解しているのだろう。分かってはいるが、失ったものは埋め会わせなくてはいけないのだ。子供ができれば、それまでの夫婦の関係は、母親と父親の関係に変わってしまう。子供が不意にいなくなったとしても、その関係が元の子供のいない夫婦の関係に、簡単に遡れるものなのだろうか。

一度パルミラと手をつないだ人間が、再びパルミラから手を離すことは、同じ理由でなかなか難しい。家族を捨てるのにも等しい、苦しい選択を、選びとれる人など、どこにいるのだろう。

少なくとも、僕には想像することすることすら、難しい。