2008年9月29日月曜日

夏の記憶

祖父は幼い私を、いつも抱きたがっていた。私がご飯を食べている時も私を膝の上に載せたがって、甘い声で、

「こっちへこねえが?」
と呼び寄せたりする。

私も、優しい祖父は大好きだったから、祖父がそう言ってくれればすぐにでも立ち上がって、彼のあぐらの上に喜んで腰を下ろした。でも、そう言う時は決まって、
「これ!」
と、傍らから檄が飛んできた。目尻をつり上げた祖母が、恐ろしい形相で、祖父を睨んでいる。その表情を見て、私は自分自身が怒られているような気がして、怖くて泣きそうになった。

なぜ、祖母が祖父をことある事に怒るのか、私には分からなかった。

祖父は庭仕事が好きで、天気のよい日にはよく庭に出て、花壇の土を掘り返しては、新しい花の苗を植えたり、植木の剪定をしたりしていた。

祖父が特に好きだったのは朝顔とチューリップで、中でも朝顔は殊更、力を入れていた。大きなおなかを窮屈そうに丸めてしゃがみ込み、せん定ばさみをくわえて、朝顔の蔓が巻き付きやすいように、細い竹の格子を作ったりしていた。祖父の太い指は驚くほど器用で、そうした物をあっという間にくみ上げてしまった。

私は、祖父の指が竹の格子の上を行ったり来たりしながら、見たこともない結び方で、どんどん格子が組上げられていくのを、まるで魔法のわざでも目撃したかのように、目を輝かせてみていたそうだ。

しかし、そうして、祖父と私が気分よく庭仕事をしていると、決まって後ろから聞こえてくるのは祖母の声であった。

「これ!」

私はいつも、その声を聞くと、驚いて立ちすくんでしまった。
祖父を見れば、彼も同じように立ちすくんでいた。まるで悪戯をとがめられた少年のように、すごく申し訳なさそうな顔をして、縁側から顔を出して怒る祖母を見ていた。

私は、祖母が嫌いであった。

こんなに、子供のような心を持つ祖父をガミガミ言う祖母が嫌いであった。
祖父が、自分の布団で私と一緒に寝ようとしている時に、それを取り返してしまう祖母が嫌いだった。
祖父と縁側に出れば怒り、庭に出れば怒り、散歩をしても怒る祖母が、嫌いだった。

祖母はきっと、祖父が嫌いなんだろう。
子供心に、それが分かった。

おじいちゃんは、いつもかわいそうだ。

私は祖父と一緒にいる時には、必ず祖母が居ないのを見計らうようになった。
そうすれば、私も、祖父も怒られずに一緒にいることが出来るからである。

私は、祖父と一緒にいたかった。
もっと、何時までも、一緒に。

なのに。


祖父が死んだのは、突然だった。

正確には、突然と思っていたのは、幼かった私だけだった。
祖父は、末期の脳腫瘍を患っており、実はかなり長い期間、入院していたのである。幼い私には何も知らされず、祖父は、遠い大きな街に住んでいるとしか、理解していなかった。

この退院そのものが、もう手の施しようのない祖父への、病院側の、せめてもの計らいだったのだ。

しかし、それは、おそらく祖父自身も知らなかった。
知っていたのは祖母と、私の両親だけだった。


私は覚えている。

朝食を食べている祖父の、白米の盛られた椀に、鮮血の雫が、ぽたり、と落ちるのを。

見れば、祖父の鼻から、血が滴り出ていた。数時間経っても祖父の出血は止まらず、そのまま病院に担ぎ込まれた。

私はその日から、祖父を見ていない。


大輪の朝顔が、華々しく裏庭に咲き誇った、夏の初めの出来事だった。
前日まで、祖父はそれを見ながら、満足げに笑っていたはずだった。

この世界の青を全部集めたような、色とりどりの朝顔が、祖父の用意した、大きな竹の格子を埋め尽くさんばかりに咲いていた、7月。

祖父の笑顔と、朝顔の青と、白米の赤い鮮血。


私の、最初の夏の記憶。




そらから程なく、家の前に、大きな提灯が飾られた。
白黒の幕が、周囲を取り囲んだ。

祖父の遺影が、先祖の遺影の列に、新しく加えられた。


祖母はその日から、誰も怒らなくなった。
もう、顔を真っ赤にして
「これ!」
と叱ることも、なくなってしまった。