2008年12月20日土曜日

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走り書き;主人公の心情

0.

テニスコート、午後6時半。

夏だから、まだ日は落ちてはいない。でも沈みかけてる。斜め光線。オレンジ色、みんな。
私は窓辺に座って、ずっとそれを見ている。野球部が見える。ずっと遠くに、えいえい、言っている。

アカネは、まだ出てこない。

ずっとシャワー室。そう、ずっと。
もう、出てこないの?

そんなことはない。いつか出てくる。
水が流れる音が聞こえる。彼女の、小さな歌声。誰かのワルツ。

出てこなければいい。
愛しい人ほど、そう思うのはなぜだろう。

ことに、それが、私を苦しめる、届きそうで、決して届かない存在だからこそ、
もう、出てこなければいいのに、そう言う気持ちにしてしまう。

彼女のことが、嫌い?

嫌い。でも、欲しい。
欲しいから、嫌い。欲望を駆り立てるものは、
みんな避けたくなってしまう。臆病な私が悪い。

ロッカー室に、いつの間にか差し込む、斜め光線。
オレンジ色。食べかけのお菓子の袋が、真ん中の机の上で、悲しげに口を開けている。

笑っている?泣いている。

夕日は、どんどん、ああ、斜めになっていく。

シャワーの音が聞こえる。
アカネの体を洗う音。

水が、走り抜ける音。

もう、出てこなければいいのに。
そう思いながらも、私はここで、彼女を待っている。


嫌い。



1.
私が大学に入って、一番喜んだのは、母だった。
私よりも、母が喜んだ。

私の選んだ学部が看護学部だったから。
母は私を女の子としての私を、誰より望んでいたから。

私が、私でいてはいけないと思わせたのは、母。
男の子と、毎日ケンカして帰ってきた私を、ひどく叱ったのは、母。

スカートより、ワンピースより、ハーフパンツを好んだ私を嫌ったのは、母。

母の買ってくる洋服は、みんな、恥ずかしい位ひらひらしていて、ピンクや白や、ありとあらゆる暖色系の色が優しく組み合わされている、さわり心地のよい服ばかりだった。青や、黒や、びっくりするような刺激的な言葉の書いてあるTシャツは決して着させてくれなかった。

反抗もした。でも無駄だった。
だって、母が生んで、育てている、私だから。
その抵抗にも、限界があるんだ。

高校の同級生と、結婚したいと本気で思って、彼女と一緒に逃げだそうとしたこともあったけれど、それも、準備しているところを母に見つかってしまった。

小さな頃から見ている彼女には、私よりも、私を知っている節があって、それがどうにも、私には疎ましい。

結局、二人の逃避行は見事に失敗した。

相手の彼女は、逃げ出した。
そして、帰ってこなかった。

行き先は、まだ解っていない。向こうの親とも、それがばれて噂になって広まってしまってからは、全く逢えなくなってしまった。

私は、彼女はもう、死んでしまったのではないかと思っている。
二人とも、それほど本気だった。
ただ、私の方には、母にそれ以上逆らうだけの気持ちがなかっただけ。


私は、その失敗があってから、ますます母には逆らえなくなってしまった。
彼女の言うとおりに大学を選び、そして、問題なく学年を進んだ。

私が、この学科に合格した時の彼女の喜びようと言ったら!
私をようやく檻に閉じこめた飼育係のように、彼女は安堵の表情を浮かべていた。

今でこそ、看護は男女の隔てがなくなりつつあるが、彼女にとっては、未だにそれは女性らしい職業の代名詞なのだ。女性らしい職業に就き、他人への奉仕を身につけることで、一種の行動療法のようにわたしの“ゆがんだ”心に作用するだろうと、彼女は考えているに違いなかった。

私の心は、そんな単純なものではない。
それは、何より私自身が一番よく分かっていた。

中学、高校と、『女の子らしい』格好を義務づけられていながらも、私の心は変わらなかったのだ。むしろ、そう言う格好をさせられることで余計に、私が通常とされる人々とどれだけ違っているかと言うことを強く意識させられる結果となった。

これが更に、看護学部だったとしたらどうだろう。
私はすでに、自分がどのような人間であるか、はっきりと意識していた。

もちろん、自分を変えようと思った時期もあった。それは中学校の不安定な一時期に限られてはいたが。
だが、今では、もうそのようなことを考えることはなくなった。

私は私なりの、幸福を見出せばいいのだ。
そう悟っている。


そうして、今、
私はテニス部の先輩として、シャワー室にこもったきりの、後輩が出てくるのを、事実上、待っている。

彼女は...、いや、もはや、私の過去を知るものなど、いないのだ。
私はなんの変哲もない、看護学科の女子学生として、彼女と付き合っている。

私の心の底にわだかまる気持ちなど、彼女は知るよしもない。
でも、それでいいのだ。

それを明らかにすらしなければ、私は、彼女に憧れるだけの男子であれば決して出来ないほど身近に彼女を感じ続けていることが出来るのだから。

越えられない一線が、普通の男女より、随分手前に設定されているだけのことだ...。