2009年1月10日土曜日

『ロール・プレイ』 1

「脳みそを、ふっとばしてやるわ」
                ―ヘンリー・ダーガー『非現実の王国で』






彼はそのロボットフィギュアを、エヴァ、と呼んだ。
「エヴァ初号機は….、使徒を撃墜するために….、都市全体の電力を集めて….、」
店内に陳列された紫色のカマキリのように線の細いロボットのフィギュア。いくつかの色やポーズのものがあり、僕らには見えないが、彼らには見えている未知の存在に敵対するように、虚空をにらんでいる。僕の隣で食い入るようにこのフィギュアを見つめ、ぶつぶつと意味深な単語の並んだ解説を唱える彼にも、このフィギュアと同じ敵が見えているらしかった。

僕は彼の解説に始め、うんうんと手短に相槌を打っていたが、それにもやがて疲れてしまって、ショーウィンドーを覗き込むため、彼と目線を合わせるようにかがめていた腰を起して、ぼんやりとあたりを見渡した。

薄暗い店内に、広く構えられた入り口のガラス戸を通じて、外の通りのアスファルトに反射した陽光がまぶしく差し込んでいる。

久しぶりに良く晴れた日曜日だった。
僕はいつものように親友の日比野とつるんで、『街』に出ていた。

僕らの言う、『街』というのは、もちろん秋葉原のことだ。

僕は自分が日比野のようにオタクだとは思っていない。彼のように美少女フィギュアを眺めて悦に入るタイプではないし、ガンダムだって、子供の頃遊んだプラモデルくらいでしか知らない。主人公の恋人が誰で、誰に憧れていたかなんて、僕は日比野と出会うまで、全く知らなかった。

ロボットアニメ、と言うとガンダムぐらいしか僕には連想できなかったが、彼に言わせると、それはとうに古典らしい。彼の凝っていたエヴァというロボットを僕は彼と付き合い始めるまで知らなかった。
「...これだって、もう古典と言っていい位だが」
さも当たり前という顔をして、平然と彼はそう言っていたが、一度行った彼の部屋は同様のカマキリのようなフィギュアで一杯だった。登場人物の女の子のフィギュアも数多く陳列されていた。埃っぽく薄暗い室内には、物が多く座るところがないほどだった。

机の上にもDVDのケースや、アニメ雑誌がうずたかく積まれており、棚の片隅に、彼の大学の専門分野であるはずの、植物生理学の教科書が追いやられていた。部屋の中はそれほど物が無秩序にあふれていたのに、フィギュアの並べてある棚だけは、不思議にきれいに整えられ、向きやポーズまできっちりと決められて、ディスプレイされていた。
それは僕に、かつて田舎の祖母の家で見た、神棚を連想させた。

エヴァ、すなわちエヴァンゲリオンを、僕ははじめ彼の口頭で知ったので、エバンゲリオンという表記だと勘違いしていた。僕がエバンゲリオン、と発音する度に逐一、彼がエヴァンゲリオン、と発音を強調して、訂正しようとしていたのが記憶に残っている。こういう小さな間違いさえ、彼にとって許し難いことらしかった。僕が彼にとって魅力的な諸々のオブジェクトの発音を誤るたびに、彼は逐一、几帳面な英語教師のように、その発音を正してくれた。

そのうち、彼は仲の良くなった僕を、彼と同じ世界に引きずり込もうと思ったらしい。部屋の棚に飾られたフィギュアの一つ一つを詳細に解説し始めた。普段の寡黙さが嘘のように、こういう時の彼はブレスを挟むことさえ忘れて、せきを切ったように説明を始めた。

だが、そうした説明の多くは、相手の耳に届くことを目的としていないらしかった。あまりに早すぎて、また、情報量も多すぎ、僕は途中からついていけなくなった。彼のような人間の、ああいう場面での説明が、果して何を目的としているのか、僕には未だにわからない。おそらくは、知っていることを、よどみなく言い切ることに、何らかの快感を得ているとしか、思われない。

彼の熱意もむなしく、僕はいまだに、なぜエヴァンゲリオンのパイロットが女子高生で、全身タイツみたいなぴちぴちの“戦闘服”を着て、宇宙人と闘わなくてはいけないのか全く理解できていない。昔のドラマであった“セーラー服と機関銃”のようなモチーフをその背後に感じなくはないけれども、それが確かに同種類のものだと、言い切るだけの確信もない。


これはずっと後になって、オタク文化を論評した新聞の解説から知ったのだが、“萌え”という彼ら独特の嗜好を解くカギとして『ペニスを持つ少女』という言葉があるらしい。それは、一種の両性具有だ。本来なら男性に象徴されるはずの“破壊力”を持った美少女、と言うモチーフが、オタクの“萌え”とどうも密接に関係しているという。

それは確か、コミック原作の映画の評論に書いてあった話だった。世界を守るため、少女を全身兵器のサイボーグに改造し、戦う、という物語だった記憶がある。その評論家は、破壊力を失ってしまった男性が、それをアニメの中の美少女に見出し、あがめているのではないか、とまとめていた。

その評論家の言うとおりだとすると、日比野の大切にしている美少女パイロットのフィギュアが、新たに生まれてきた日本の土着信仰の女神のようにも見えてくるから不思議だ。縄文時代の遺跡から、豊穣の女神を模した、豊満な女性の土偶がたくさん出てくるそうだが、日本人はそれから何千年も経っても、大して遠くには来ていないらしい。

ただ、素材がプラスチックになって、女性のスタイルがちょっと変わってしまっただけだ。胸が大きいことにかけては、今も、変わっていない。

無論、僕は、まだ日比野に洗脳されるには至っていない。どうやら、日頃粘り強い彼も、ついに僕を見放したようだった。そうした強行的な布教活動はしだいに行われなくなった。