2009年7月18日土曜日

パルミラ (1)

ある、今からそう遠くはない、未来の話。


†1
僕らはいつも、一人の少女を連れて歩いている。
白い服を着た、東洋人とも、西洋人ともつかない、愛らしい顔立ちの、4,5才くらいの、女の子。女の子は、パルミラ、と呼ばれていて、誰の連れているパルミラも、みんな同じ顔をしている。

でも、一緒に暮らしているうちに、みんなそれなりに、愛着がわくらしく、うちの子はちょっと背が小さいとか、鼻立ちがいいとか、そんな些細な違いを気にとめては、悩んだり、自慢したりしている。パルミラは、そんなとき、何も言わずに、ただ子供らしい、美しい笑みを浮かべて、にこにことほほ笑んでいる。

パルミラを僕らが連れて歩くようになったのは、いつからだったろう。
携帯電話が普及し、パソコンが普及した時も、そうだったような気がするが、すべて、まるで、あらかじめ用意された水路に、水が流れていく時のように、速やかに、静かに普及していった。気がついた時には、パルミラの販売が開始しされてから、ものの2年ほどの間に、普及率は3割を超えていた。そこから、みんな持っていて当然となるまでに、さらに5年ほどだっただろうか。ともかくも、販売開始から10年しないうちに、パルミラは人々の必需品の一つとなったわけだ。

パルミラ、というのは、そもそも、この製品の商品名に由来している。この少女を作った会社は、そもそも、何とかテクノロジーという、アメリカのベンチャー企業だったそうだが、この商品の爆発的な人気を受けて、ついに会社名をも、パルミラ社に変更した。

パルミラの不思議なところは、他の模造品企業が、似たようなものを作っているのだが、全く普及しなかったところにある。パルミラ社自身も、はじめのうちは、パルミラに、もっとおしゃべりする機能とか、簡単なお仕事をお手伝いできる機能を付けた商品を販売したが、すべて、初代のパルミラほど普及はしなかった。同様に、模造品企業の作ったパルミラ様の品物も、元のパルミラほどの人気を得ることはついぞなく、そうした会社はやがてすっかり諦めて、パルミラ関連の仕事からは、早々に手を引いてしまった。

パルミラ社も、もはや、パルミラの性能をさらに上げようなどと言う野心は捨てて、ただ、現行モデルの品質向上などのマイナーチェンジや、修理の対応などに専念しているそうだ。

パルミラは、登場直後から、あまりに完成されすぎていた。だからこそ、人々は、それ以上の変化をむしろ嫌うのだった。パルミラは、パルミラとして、何も言わず、ただ傍らにいて、時々話しかければ、こちらを見て、にっこりと笑ってくれればいい。ただそれだけの需要を満たすためだけの、品物だった。

人によっては、パルミラに愛着がわくあまり、名前を自分でつけている人もいるらしい。しかし、多くの人は、パルミラを、ただパルミラ、と呼んでいる。

パルミラの衣服の背中のボタンを少しだけ開けさせてもらうと、肩甲骨の間あたりに、"Palmira"という名前と、それぞれのシリアルナンバーの刻印が見える。しかし、パルミラが人間の少女らしくないのは唯一その点だけで、後は、完全に、人間の少女そのものなのだった。

手をつなげば、その皮膚の触感や、肌のかすかな暖かさに、驚かない人はいないだろう。

多くの人は、はじめ、販売代理店でデモンストレーション用のパルミラと手をつないでみて、目を丸くする。そして、思わず、その瞳にやさしく笑いかけるように体をかがめて、その愛おしい手を、両手で包みこまずにはいられなくなる。その時から、その人とパルミラとの関係が始まるのだ。パルミラは、そうした、購買者に決定的な変化をもたらすような事態においても、ただ美しく、愛らしい笑みを浮かべて、彼や彼女の微笑みに答えているだけだ。