2009年7月22日水曜日

パルミラ (3)

†2

パルミラ販売の代理店でアルバイトしていた友人が、僕のところに、購入を持ちかけてきてから、思い出せば今日で丸3年になる。
その間、僕のパルミラは学生用アパートの6畳半の狭い一室に立ちつくして、僕が手をつなぐまで、そこでほほ笑みながらじっと立っていてくれる。パルミラは、自律的には座らないのだ。それどころか、横になることもない。遠隔的に充電が出来るレストマットと呼ばれるマットの上に一晩も立っていれば、パルミラは一日の活動に十分なエネルギーを蓄えてしまうことが出来る。
パルミラを自立的に座らせたり、横になってから元の立ち上がった姿勢に戻させたりするのは、開発当初は技術的に難しかったらしい。そのような機能を付けると、少女のような体の大きさには、収まりきらなかったそうだ。もちろん、今では、そんな機能を取り入れたパルミラも原理的には製造可能で、実際に一時期、販売もされていたのだが、それもなぜか普及しなかった。外見上は今のパルミラと全く変わらないのだが、どうも、新たに付け加えられた動作の細かな仕草があまりに人間に似すぎていて、それでいて、微妙に異なっていて、付帯者に逆に強く違和感を覚えさせてしまうらしかった。

人間の感覚は、とても不思議なものだ。あまりに人間に似すぎると、それを人間の子供として強く認識しすぎてしまうのか、あるいは、本来は人間ではないという理性のさざめきとその意識がぶつかって、不快に思うものなのか。いずれにしろ、自分の部屋に、見知らぬ子供がいたとしたら、それは不気味なものだ。ただ、パルミラは、手を引けば歩いて付いてきてくれる以外、特に際立った動作をしない。微笑みは、いつも変わることがない。話しかけられたことに反応し、声のした方向を向いて、ひたすら笑うだけの機能しか、彼女にはないのだ。それでも、人はその機能しか持たない製品を、強く、おそらくは長いこと求めていた。

僕のパルミラは、他の人のパルミラよりも、髪が少し長い。もちろんそれは、製造上の微細な誤差にすぎないのだが、色々な人のパルミラをまじまじと見ているうちに、そうした些細な違いにすら、気がつくようになってしまったのだ。他のパルミラでは、前髪が眉のラインより、少し上の方までしかきていないのだが、僕のパルミラは、眉にかすかにかかるくらいまで、前髪が下りてきていた。それに気づいて、僕にパルミラを売ってくれた代理店で長らくバイトしていた友人にそのことを話すと、彼はおかしそうに、苦笑いを浮かべて
「お客さんは、よくそういうよ。……僕自身も、そう思うけれどね」
とだけ答えた。

彼のパルミラを、僕は大学で何度となく見かけていた。彼は自分のパルミラをとてもかわいがっていて、彼が自分のパルミラを見つめるときの瞳は、親が子供に向ける瞳よりももっと情熱的で、それでいて、穏やかなものだった。愛する人をエスコートするようにやさしく、彼は自分のパルミラの手を引いて、いつもキャンパスの北側の少しさびしい入り口から、大学にやって来るのだった。

彼のパルミラは、僕の見たところ、僕のより眼が少し大きくて、まつげが長い気がした。
彼は、時々、自分のパルミラの前に屈みこんでは、彼女の繊細で、長いまつげについた小さな白い綿くずなどを、人差し指と親指でそっと優しく取り除いてやっていた。パルミラは、何をされているのか、理解していない。でも、それだからこそ愛おしい瞳で、その時、彼の方を見て、にこりとほほ笑むのだった。

その光景は、傍から見ていても、とても優しい光景で、気がつけば、その時キャンパスを歩いていた何人かの人が、一瞬足をとめて、見入ってしまうほど、引き寄せられる光景だった。彼や、彼女たちも、僕の友人と同様にパルミラを連れていて、それはそれなりに、自分のパルミラを愛しているのだろうけれど、彼の、パルミラに愛情を注ぐしぐさを見て、何か感作されるものがあったらしかった。
気のせいかもしれないが、彼のしぐさに足を止めた人たちが皆、そのあと自分のパルミラを見つめて、その細い髪の毛を、そっと優しく、なでてやっていたように、僕には見えた。

優しさは、伝播すると、昔、何かの映画でやっていたのを僕は思い出す。
誰かの優しい行為を見た人は、思わず自分も、自分の大切な存在に対して、やさしいふるまいをせずにはいられなくなると、その映画では言っていた。

だとすれば、パルミラに注がれた彼の愛情は、そのあと、幾多の人々の愛情を呼び覚まし、そして、多くのパルミラが、その主人の優しさにきれいな微笑みで返したのだろうと、僕はその日、家に帰ってから想像した。

昔、パルミラがなかった時代に、人々は何に向かって、これだけの愛情を注いでいたのだろう。おそらく、彼の様に、あふれんばかりの愛情を、誰かに対して公然と注ぎかけるという行動は、世間的に、はばかられていたのではないか。

僕も中学生くらいの頃、人間の女の子を愛してみたことがあったけれど、それは今ではとても苦い思い出だ。