2008年4月25日金曜日

What are you doing the rest of your life?

君を失った悲しみはまだ癒えていないのに、

僕はまた次の恋をしようとしている。


君を失って始めて、君が存在したただそれだけの事実の
他のものでは代替のしようのない、致命的な欠落を知り、
その苦しみに、乾きに喘ぎ、
もう二度と、恋はしないと誓ったはずなのに、

僕はまたこうして、恋をしようとしているのか。

昼下がりの校舎で、休み時間に僕を連れ出し、
誰もいない体育館の用具室で、
小さな唇をくれた、君の
あの疑いを知らない眼差しを、僕はまだ心に掲げ続けている。

あの眼差しは時を越えて、
今、こうして、おそらくは不純な
恋の熱望に駆られた、不義の虫を
真っ直ぐと射通し、そのことが
余計に僕を苦しめている。

目の前にいる、この女の、

暖かな乳房と
居心地の良さに甘えて、
僕は薄暗がりの中、彼女の肢肉と肢肉の間に
自らを差し入れ、それで満足している。

女の声が聞こえる。

君の声が聞こえない。

求めたのは、何より、君の声だったはずなのに
どうしてここで聞こえるのは、君の声ではないのか。

女の声が聞こえる、
しきりに何かを訴えている。

僕はそれに、答える気は起きずにいる。
ただひたすらに、自らの作業を続ける。

やがて女のあきらめたように
僕のペースに自分のリズムをシンクロさせ、
それで、しきりに、満足げに、
うんうんと、唸っている。

この、自分の下にいる、女が、
君と同じ女であるとは、
僕にはどうしても、思えないのだ。

同じように好きになり、
同じ言葉で、告白はしたけれど、
あの遠い日、君に抱いた感情と、
今こうして、僕の股の下に喘ぐ
一人の女に抱く感情とは、
似ているようで、いつまでも一致しない。

この女に、豊かな乳房と、尻と、
抱きつくに足りるだけの肉が満ちていることは僕には分かったが、

あの日、僕は、君のくちづけの温度さえ、
正直、計りかねていた。

握った手の微かな熱すら、
手を離した直後から、
アルコールが揮発するように速やかに、
涼しい風だけを残して消えてしまった。

そして、別れ際、君が密かに残した言葉は
その後僕の心の中に、
秘められた魔術の真言のように
言葉にしてはいけない事実として、そっと僕の胸の奥に
刻み込まれたままだ。

後になって、
ずいぶんと後になって、
この女も、
君と同じような、その真言を
うわごとのように、僕に言ったことがあったけれど、
君が言葉とともに残した、
甘い果実のような、余韻は
彼女の言葉尻を、いくら噛みしめてみても
少しも、醸されては来なかったんだ。

僕は、この女を愛している。

こんな、いつまでも、疑念を捨てきれない僕を、
こうして受け入れ、

飽きもせず、それを夜ごと繰り返してくれるのだから。

僕は苦笑している。
この女の愚かさに。

でも同時に
感謝
している。

鍵をかけた部屋には、誰にも立ち入らせない僕なのに、
彼女はその鍵を開けて中を見せてくれとも言わず、
閉じられた部屋は部屋のまま
それでも僕を、愛してくれている。

僕はこの女が、溶けるほど愛してあげたいと思っている。

叶うことなら。


君との間には結局、
何があったかと言えば、何もなかったようで。

長い時を一緒に過ごした割には、
これと言ってヒトに伝えたくなるようなエピソードもない。

ただ、その割には僕は、未だにこうして君を慕って、
目の前にいる女すら、真面目に
見てあげることができずにいる。

それはこうして、現実の僕を受け入れてくれているこの女に
とても申し訳ないことのような気がしている。

あらゆる事に、君との思い出を蘇らせている僕には
本来もう人を愛する権利など持ち合わせてはいないはずなのに、

彼女とこうして夜を過ごし
そして昼を渡り、

共同生活をしながらも、
心はここにはなく

僕は身体だけ、この女と同棲している。


病院のベッドで力なく横たわった君に
僕はかける言葉も見つからないまま、

初めての告白から、長い長い年月が過ぎ
それでも結局、二人結ばれることはなかったコノ
不運な現実に
何か恨み節を述べようとしても、特には思い当たらず。

目を合わせて、にんまり微笑むだけで、
後は君の身体に流れる、
点滴の管の、
しずくの滴る数を数えてた。

君の命を救うという名目の
このクスリの一滴一滴がまた同時に、
君の命の果つるまでの、カウントダウンのように思えて、
その黄色い液の滴が、
できれば少しずつ、ゆっくりと滴るように感じられないかと、
何度も、願っては、みたものの。

僕は何度も、君の病室を訪れたけれど、
することはいつも同じだった。
君を見て微笑んで、
点滴の管を見て、
声には出さず、一緒に数を数えた。

でも、連れ添うと言うことは、そう言うことなのだと、
僕らはすでに、気づき始めていた。

二人の間の、残された時間を過ごすことが、
破壊に向けての時を、静かに穏やかに数えることが
二人の末路を、連れ添うという行為であるのだと。

君が不意に、僕に差し出した白い手を
僕は優しく握りしめ、

やせ細ってしまったその薬指に、

買ってきたばかりの
銀の指輪をはめた。

それは、なんの約束にもならないけれど、
小さな一つの、答えではあった。


女の声が静かになった。
僕はいつしか女のことを忘れていた。

悲しいほど、真っ直ぐに
黒くひらいた目で
僕を見つめている。

その女の顔にかかった、細く長い前髪を、
僕はそっと掻き上げた。

ふふ。

女が、うれしそうに息を漏らした。
無邪気な少女のようだった。


君の死んだあの日まで、
僕はこの女を知らなかった。

しかし、今日の日に至っては、
これほどまでに、その女と
馴れあい、そして、現にこうして抱き合ってすらいるとは、

僕もあきれたものだ。

僕は君がいないことをいいことに
別な人生を歩んでいるのかもしれない。

君を知らなかった僕。

そうして過ごす、幾年月のうちに、
君を忘れられるかとも期待したけれど、

結局は、この有様。

記憶とは無様なものだ。

目の前の女に、心の底から正確に、
愛情を注いでやることすら
かなわずにいる。

不運なのは、この女。
不幸にしているのは...。

なら、止めればいいのに。
なぜ僕はそうしないのだろう。

君との間にはなかった
この負の連鎖のようなシチュエーションに
僕は今も戸惑っている。

女が音を上げた。
すでに物語の終わりは近づいている。

ひとしきりのプロトコールを終えた後
僕らはいそいそと身を離した。
それはいつも、事務的な後始末。

二人の行為の後に訪れる、
寂寞とした、
脱力感を
彼女はその、疲れた指で、
そっとなぞり

それが癒しにならないことを知りながら、
何もしないわけにはいかなくて、
そうしてくれたその、焦りにも似た焼け付くような思いを
僕は、数十年前の、君越しに
再び彼女に見ている。

僕は慈しむように、力なく横たわる彼女の首筋に腕を回すと、
昔、君のしてくれたように、
静かに息を止め、
そっと、脣を合わせた。