2008年6月18日水曜日

再会

女と再会したのは十数年ぶりだった。

男は女の横顔を見ながら、長い時の経過を思っていた。男の目に、女はひときわ美しく映った。男の知る女に見られた、少女の面影はすでになくなっていたが、以前までは目立たなかった女性らしい容姿と物腰が今の女には見受けられた。女は左手をアイスコーヒーの冷えたグラスに伸ばした。その薬指には銀の指輪が光っていた。
「久しぶりね。」女は言った。「...何年ぶりかしら、こうして二人過ごすのは。」
「さあ。」男は言った。
「おそらく、十年は過ぎてるね。」
ふっ、と女は笑った。「余り言わないでよ。歳を感じるから。」
「そんなことはないさ。」男は言った。「...君があんまり変わらないから、こっちは驚いていたくらいだよ。」
女は口元に手を添えて笑った。
「あなたこそ、変わらないわね。」女は言った。「いつも顔だけは真面目なんだから。...それが嘘か本当かは、相変わらず分からないけど。」
「僕はいつも、本気のつもりだが。」男は言った。
「あなたの本気は、あんまり本気すぎるのよ。正直すぎるのも嘘になるわ。」女は言った。
「よく分からない。」男は言った。「君の言うことは。」
「分からなくてもいい。」女は意地悪そうな笑みを浮かべた。「それも、あなたらしくて素敵よ。」

昼下がりのカフェには、彼らの他にも幾人かの客が思い思いの方法で余暇を過ごしていた。
新聞を広げて読んでいる者もあり、恋人と楽しげに談笑する者もあり、一人黙々とノートに何かを書き付けている者もいた。各々のテーブルは一つ一つが小さな世界のようで、その間を行き来する背の高い初老のウェイター以外、その世界に立ち入る者はいなかった。

彼と彼女はその中でまったくの偶然に出会った。彼女は電話をしていた。電話の向こうの相手と親しげに話すその声に、男は聞き覚えがあるものを感じて、そちらを振り向いたところ、女と目があった。女は口の動きで、ちょっと待って、と彼に伝えた。
彼は微笑んでそれに応じた。

「相変わらず、小説を書いているの?」女は尋ねた。
「ああ。」男は答えた。「僕にはこれしかないからね。」
「素敵ね。」女は言った。「一つのことに一生を捧げるなんて。」
「君はどうなんだい。」男は尋ねた。「作詩はものになったかい?」
「全然」女は答えた。「...詩を作るのは止めたわ。」
「なぜ。...あんなに良いセンスしてたのに。」男は驚いたように身を反らせた。
「まったく...。」女はあきれたように言った。「あの頃は褒めもしなかったくせに。」
「そうだったか。」男は笑った。「心の内で僕は君の才能を賞賛してたよ。」
「...嘘つき。」女は言った。「あなたが正直者なのか、ただの嘘つきなのか...、だから信じ切れなくなるのよ。」ふくれた面で小さく呟くように言った。「あなたの言葉なんて...、信じなくて正解だったわ。」
「それは残念だった。」男は言った。「僕の言葉は、届かないままか。」
女はその言葉に、ちらと男の表情をのぞき込んだが、男が特に表情を変えていないことを認めると、すぐにまた視線をそらした。
男は苦笑した。

「君は、変わらないな。」
「おかげさまで。」女は言った。「小じわも旦那も、なかったことにすれば、ですけど。」
「それでも君は変わらないさ。」男は言った。「...確かに、あの頃のままとは言わないが。」
女はその言葉に沈黙した。男も黙り込んだ。じっと何かを思い返しているようだった。
「...ねえ。」女が口を開いた。「ねえ...、あの頃..、あなたは私と、本当に結婚しても良いと思ってくれてた?」
「それは、僕が聞きたいくらいさ。」男は言った。「君の方こそ、どうなんだい?」
「それは...。」女は躊躇った。「それは...。」
男は笑った。「答えなくてもいい。...過ぎた話なんだから。」
「好きだったわ。私は。」女は言った。「あなたのことを。」
じゃあ、なぜ...。男の脳裏に、思わずこの疑問が浮かんだが、こらえて口に出さなかった。
その質問を口にするには、二人はまだ若かった。年齢的にやり直しがきくだけ、この話題に深く踏み込むのは危険だった。
「真っ直ぐすぎたのよ。」女は言った。「あなたの言葉は。」
それ以上何も言わなかった。
風が沿道に立つ銀杏の葉を揺らした。木漏れ日が、彼らの上で瞬いた。
二人の間に置かれた白い小さな丸テーブルの上には、すでに空になったアイスコーヒーのグラスが薄い紙製のコースターを敷かれた上に載っていた。氷に冷やされて、二つのグラスは結露していた。

お下げしましょうか。

いつの間にかテーブルの脇に立っていたウェイターが、彼らの顔をのぞき込んだ。
「ええ、お願いします。」男は言った。

「真っ直ぐすぎたのか。」ウェイターがグラスを持って立ち去った後、男が言った。「それは、勲章だな。俺にとっては。」
「傷を負ったのが、勲章なの?」女は言った。「...男の人って馬鹿ね。」
「要領よく生きるより、不器用に死にたい。」男が戯けた調子で言った。「...誰かの言葉だ。」
女は笑った。
「あなたの言葉でしょ。...あなたが、小説の主人公に言わせた言葉。」
「そうだったな。」男は笑った。その小説は彼がまだ大分若かった頃に書いたもので、彼の作品の中でも、批評家から酷評されたものだった。それでも、彼は満足していた。その作品は、彼の人生観をやむにやまれず書き綴ったものだったから。他人に通じるかどうかは、そもそも度外視していた。

「青かったな。」男は言った。「誰にも通じない言葉を、平気で書き捨てていた。」
「そうね。」女は言った。「でも、近くにいた人間には、十分通じたわ。」
女はテーブルの上に置いていた革の財布をハンドバッグに仕舞った。
「じゃあ、また会いましょう。」女は言った。
「いつになるかな。」男は言った。
「さあ。」女は笑った。「忘れた頃かな。...私とあなたが、恋人だった過去なんて。」
女はそう言うと、紅い鰐革のハンドバッグを手に取って、大通りをすたすたと歩いて行った。
その後ろ姿を、男はもの悲しい目で何時までも見送っていた。