2009年1月16日金曜日

『ロール・プレイ』 10

朱音さんはその質問を意外と受け止めた様子だった。目を大きく見開いて、明らかに驚いた様子だった。
「行かれるんですか?」
「...せめて、謝りたいんだ。」僕は言った。
「彼女のことを勝手に眺めて、勝手に舞い上がってた。知らないところで話を進めてしまっていて...。」

「それについては、….私も反省してます。」
「だから、…謝っておきたいんだ。」
それは、彼女に会うための口実というつもりでもなかった。話したこともない彼女を僕は既に知り合いのように感じていた。これきり出会うことは無いだろう、という考えは、このとき想定の外にあった。また会うつもりでいる人間を、人はなかなか裏切れないものだ。
「でも、それでしたら、私から先輩に言っておけばいいことじゃないですか」
朱音さんが言った。

「そもそも、私がしたことですし….。そんなにお気になさらなくても、先輩なら、大丈夫ですよ」
「まあ、そうなんだけど…、僕の方も、その気になってたから。朱音さんだけに謝らせるのも、なんか、悪いよ」
「そんな…、私のことでしたら….。」
「あくまで、このままじゃ僕の気が晴れないってだけのことなんだけど」僕は言った。

「うまく会えなかったからといって、このまま、何事もなかったような顔して生きているのもなんか、ね。」
「…やさしいんですね。祐介さん」朱音さんが微笑んだ。「そんなに…、気になりますか?….先輩のこと」
僕は否定しなかった。

「わかりました。...じゃあ、ちょっと待ってください、いま住所を書きますので...。」
朱音さんは、手に持ったバックから小さなノートを取り出し、細々と書き入れ始めた。ついて来てくれないんだ、と僕はその時思ったが、これは彼女なりの配慮なのかも知れないと思った。癖があるが読みやすい字で、彼女の通うキャンパスのおおよその所在地と、練習場所の位置を書き入れた。それはここからそう遠くない距離にあった。「はい。これでいいはずです」
朱音さんは、所在地を書いたメモを手渡した。

「駅に着いたら、3番の出口から出て、大きな道路を渡った先にあります。入口に守衛さんがいると思うので、わからなかったら聞いてください」
「ありがとう、何からなにまで」
僕はお礼を言った。

「朱音さんには、本当に感謝しているよ」
「いえ、そんな…」朱音さんははにかむように笑った。
「私は、祐介さんに幸せになってもらいたいだけです。もちろん、先輩も」
じゃあ、これで。彼女はそう言って、僕に軽くお辞儀をすませると、愛嬌のある笑顔を残して去っていった。彼女の小さな後ろ姿は、週末の秋葉原に繰り出した人々の群衆に埋もれて、すぐに見えなくなった。

彼女の姿を見送ると僕の眼は、すぐに彼女の渡してくれたメモに向けられた。おおよその行程を把握すると、僕は彼女の先輩が練習しているという大学のキャンパスを目指して歩き出した。



彼女の先輩は、名を村瀬真樹といった。