2009年1月13日火曜日

『ロール・プレイ』 5

彼の携帯はその日の夕方に鳴った。妹からだった。
その現場には、なぜか僕も立ち会わされた。
「君だって、同罪じゃないか」それがその理由だった。

指定された場所は妹の働いていたメイド喫茶の向かいにあったスタバだった。
僕らがそこへ行くと、野外のパラソルの下にしかめつらで、不機嫌そうにせわしなく携帯をいじる一人の女性が座っていた。

こちらに気がつくと、女性はすっくと立ち上がって、つかつかと僕らのところへ歩いてきた。
「おにいちゃん...。一体、何してたの、あんなところで」
彼女は開口一番、あきれたように言った。

「おまえこそ...、何してたんだ」日比野は、ばつが悪そうに妹から目をそらしていた。
「バイトよ、バイト...。まさか、あんなところでお兄ちゃんに会っちゃうとは..。いくらオタクの兄とは知っていても、...なんかショックだよ」
「お前こそ、あんな店で働くのが間違ってるんだ」
すかさず兄は言った。それでも、居心地が悪そうに、妹には見えない体の後ろで、指をいじっていた。
「そんなこと言われても...。誰も、あんなところでお兄ちゃん会うとは思うわけ無いじゃない。私は恥ずかしかったよ。客に兄がいたなんて、他の店の子には、とても言えない」
苛立って頭を揺らすたび、長く伸ばした彼女の髪が大きく振られた。

「あんな格好の店員に、ご主人サマー、なんて持ち上げられて、にゃンにゃンだの、るんるんだの、そんな甘ったれたお店でいい気分に浸れるなんて、どういう神経してるの?私には解らないな」
そう言う店で働いている割に、妹は辛辣だった。
「なら、辞めればいいだろ...」
「割良いのよ、あのお店」
悪びれもせず妹は言った。

「店の他の子も、みんな同じ考えだと思う。あんな恥ずかしい格好させられて、店長に変な台詞を強制されても、そう言う動機がなくちゃ働いてられないに、きまってるじゃない」
妹はきっと兄をにらみあげた。口をへの字に結んでいた。兄は妹に返す言葉もないらしく、黙り込んでいた。顔をしかめて、口をむっつりとつぐんでいた。全く似ていないようでも、怒った時の表情は意外に似ているな、と僕は思った。

「それに、あのフロアのチーフ...、たぶん、お兄ちゃん達も席に案内されたと思うけど…、あの人、相当きついんだよ。あの人のせいで、バイトが何人やめたことか。店長の前でばっかり、いい子ぶって...」
兄が何かに苛立ったように、一瞬、ちらと妹をにらんだ。思えば、僕らを席に案内してくれた店員を彼は気に入っていたのだった。

「見るからにきつそうでしょ、あの人。あれで、自分が人気あると思ってるから、最悪なんだよね....。あんなのに付いているお客さんは、みんな見る目ないよ」
何かを思い出したのか、妹はそこで、ぷっと吹き出しそうになった。
「...まあ、」努めて笑いをこらえるようにしながら、妹が言葉を継いだ。
「今回のバイトは、お金が目当てってわけでもないから。まだ我慢もできるんだけれど」

妹はその時、一瞬、僕の方を見た。
「...まだ何か、理由があるのか」
兄はそっぽを向いたまま、あきれたように言った。これが、この兄妹の会話らしかった。
「うん...。まあ...、」妹は、先ほどまでの威勢が嘘のようにおとなしくなった。しばらくまごまごと戸惑った後、僕の方をもう一度見た。

「ねえ、あなた...、あの...、兄の友達の方ですか?私、日比野朱音(あかね)って、いいます。この兄の妹で。...いつも兄が、お世話になってます」彼女は僕の前で深々とお辞儀した。
「あ、いや、そんな。僕は、伊勢祐介といいます。僕こそ、お兄さんに、お世話になりっぱなしで...」

僕が自己紹介している間中、妹さんは僕の表情を、じっと見つめていた。彼女の大きな瞳に見つめられて、僕は少し緊張してきた。これがあの、変わり者の日比野の妹とは、とても信じたくなかった。

「伊勢...、祐介、さん」彼女は僕の名前をゆっくりと反復した。
「実は、ちょっと、お伺いしたいことが...」彼女の目はとても真剣だった。僕はつばを飲み込んだ。
「実は、...あのね....、あ、初対面で、男の人に、こんな事、聞いて、いいのかな...。私、やっぱり、へん、かもしれません….」
「はは...、そんな...、なんでも、どうぞ」
僕はもう、気が気でなかった。
「じゃあ、あの…、」

彼女は躊躇いがちに大きく息を吸った。「...好き、...な人っています?今?」