2009年1月15日木曜日

『ロール・プレイ』 8

黄色い声で出迎えてくれた猫耳メイドの中に、朱音さんの姿もあった。
「良く戻られました、ご主人様。」
朱音さんは愛嬌たっぷりに、僕の所に駆け寄ってきた。相手のことを知っているだけに、僕はなんだか気恥しくなってしまった。

「お席にご案内しますね」
彼女は僕の腕を取って、席へと案内した。
前回座った窓際の席よりもずっと奥の、店の全体が見渡せる席だった。朱音さんは僕を座らせた後、奥から水を持ってきた。
「ほら、あの人です」
朱音さんは目配せして、早速店の入り口近くにいる、一人の女性を指さした。

その瞬間、僕は、はっと息をのんだ。

確かに、先週は見ていない人だった。朱音さんより背が高くて、やや華奢な印象だった。だが、ずっとテニスをしていた人らしく、引き締まった体つきをしているのが遠目で見ても解った。短めに切った髪は、女の子にしては無造作で、整えられていないような気もしたが、彼女の顔つきが、女性らしいと言うより、少女か、少年のようだったので、特に気にならなかった。

「どうです?かわいいでしょう?」
「...え?ええ。本当に」
僕はいつの間にか、ぽおっとなって彼女を見つめていた自分に気づいた。
「先輩、すごくシャイな方なので、あなたのことは、あえてまだ言っていません。バイトが終わったら、また後で、改めてご紹介しますね。」「え、ええ。」

僕は早くも緊張していた。着古したジーンズと、先日ドアの取っ手に引っ掛けて、背中側の裾に穴のあいたワイシャツで、ここにつらつら来たことを、僕は後悔していた。

前回来た時のようにコーヒーを頼むと、奥から、先ほど朱音さんが紹介してくれた女性がコーヒーを運んできた。どうやら、彼女の差し金らしい。
「...ご注文の....、ぷ、“ぷんぷんぶれんど”、です。...ご主人様...。」

この女性は、どうもこういう接客が苦手らしく、勤め始めて数週間になる割にはあまりに不慣れだった。もしかすると、今までできるだけ、店の奥の方にいて、お客さんと接することを避けていたのかもしれない。他の女の子が、鼻の奥を振るわせるような、いわゆる『アニメ声』を出しているのに対して、この女性はやはりスポーツ系らしく、おなかから声を出している印象だった。見た目の印象より、ずっと低く、楽器でたとえれば、木管のような響きをかすかにもった声だった。

「…ご注文は、以上でしょうか」
女性はおそるおそる、僕の顔を覗き込んでいる。いちいちこんなに真剣にお客さんに接していたら、きりがないだろうな。僕はそう思って、思わず笑いだしてしまいそうになるのを、必死にこらえていた。

「ええ。ありがとう。」
それでも女性の必死さは十分に伝わってきた。僕は心を落ち着けて、静かに笑顔で応じた。女性も出来る限りの愛想笑いでそれに答え、思ったより厚みのある背中を見せながら、店の奥へと去って行った。

彼女があまりに接客に不慣れな点からみて、この店でバイトをするのは彼女の本意ではなく、朱音さんに無理矢理付き合わされたのだろう、と僕は察した。

「...どうです?」彼女と入れ替わりに朱音さんが僕の席にやってきた。
「彼女を、このバイトに引き入れたのは、君だね」僕は率直に彼女に言った。
朱音さんは、申し訳なさそうに笑って、
「だって、先輩があんまり...、なんというか、女の子らしくないから、ちょっとこういうところで、すこし矯正してあげなくちゃって思ったんです。」
「すごい後輩だ。」僕は苦笑した。

「でも、それだけ、君にとって大切な先輩って、事だね。」
「...ええ。」朱音さんの目は、真剣だった。
「先輩には、女の子がみんな一度はするような、幸せな恋愛をしてもらいたいんです...。で、どうです、先輩のこと好きになっていただけました?」
「...君に、言われたからって訳じゃないけれど」僕は正直、口に出すのが恥ずかしかった。「...かわいいね、彼女。その、不器用なところも含めて、さ」
朱音さんはにっこりと微笑んだ。本当に慕われている先輩なんだな、と思った。
「正直、女の子の紹介してくれる“かわいい女の子”なんて、当てにしない方だったんだけれど、...今回は違ったな。人柄的にも、本当にいい人そうだし。」

「“人柄的にも”って、人柄から見てくれたんじゃなかったんですか?」
朱音さんはちょっと意地悪に、僕にそう聞いた。僕は、笑うしかなかった。始めに、体つきを見た、なんて、男の性だとしたとしても、とても言えるものじゃない。
「でも、まあ、いいです。じゃあ、先輩に話しておきます。5時に、また例のスタバで会いましょう。」
朱音さんはそう言うと、僕に深々とお辞儀して、下がっていった。


約束の時間になった。