2009年2月11日水曜日

『カタワラ』;9

薫との勉強会は、それからもほとんど毎日続いた。
前半は賢治が得意な教科を教え、後半は薫がそれに代わった。

薫は、賢治が驚くほど、自分の得意な教科は勉強してきていた。彼女は確かに勉強が出来ない方ではなかったが、それでも学校の掲示に張り出される上位成績者に名前が出る方でもなかったから、明らかにこの勉強会のために勉強してきているようだった。

「人に教えなきゃって思うと、なんだか責任感じるでしょう」薫はそう言って、照れたように笑った。

賢治は始め、自分の解る範囲で彼女に教えればいいと高をくくっていたのだが、彼女の努力に気づいて、自分だけ適当に怠けているのが申し訳なくなってきた。

得意な教科は相手に教えられるほど得意に。苦手なものは、せめて、相手が教えてくれたくらいは理解できるように。二人はいつしか気がつかないうちに、相手が自分に注いでくれた熱意の分だけでも、努力するようになっていた。それを思いやりと呼ぶことまでは意識していなかったが、一月も経つ頃には、当初は面倒な同級生と思っていただけの薫に対して、賢治はある種の信頼を感じるようになっていた。

それは、薫の側でも同じのようだった。特に約束しなくても、彼女はいつも放課後、賢治の席のあたりで、彼が掃除から帰ってくるのを待っているようになった。

「あたし達ってさ」ある時、薫が言った。
「ある意味、受験のための協力関係としては、理想的なかたちじゃない?」
「そうかもな」賢治は否定しなかった。
薫がうれしそうに笑った。
「まさに、“パートナー”って気がする。……私が困っているところを、すぐに助けられる距離に賢治がいるから」
そう言った時の彼女は、少し照れくさそうだった。
「いつも近くにいるって、大切な事だよね」薫が言った。
「いつでも手の届く距離に、賢治みたいに気軽に話せる人がいるってだけで、すごく心を強く持てる気がする」

賢治は薫の言葉を肯定も否定もしなかった。だが、彼は内心、彼女と同じ気持ちだった。目的を同じくするものが、すぐ傍にいて、お互いに切磋琢磨しあえると言うことが、どれだけ自分自身を鼓舞するか。不安を押しやり、払拭してくれるか。彼は彼女との、このたった一ヶ月の間にはっきりと知った気がした。

「……まあ、おれに感謝するのは、受かってからにしろよ」
照れくささに耐えかね、少し戯けた調子で賢治は言った。
「それもそうだね」薫が笑った。
「……じゃあ、数学やろうか、賢治君」


薫は学生鞄の中から使い込まれた数学の参考書を取りだした。
パステルカラーの付箋紙が、短冊飾りのようにあでやかに揺れながら、本の上端から何本も顔を出していた。
参考書の隅は、ページの目印にしたらしく、幾つもの折り跡が重なって見えた。
本を持つ彼女の右の親指に、いつの間にか参考書に引かれた赤いボールペンのアンダーラインのインクが移って、赤く色が付いていた。しかし彼女はそのことすら、気に留めていなかった。

「……どうしたの」
ぼんやりと彼女の様子を見ている賢治に気づいて、参考書に向かっていた薫は不思議そうに彼を見上げた。
「あ、いや……」
お前って、意外にがんばり屋なんだな。
そんな言葉を飲み込んで、彼は自分の鞄から彼女と同じ参考書を取り出した。


白い参考書を出すのが、少し、恥ずかしかった。